もりいくすおのヤングレポート

さあさおたちあい

2020 年 5 月 28 日

昔から見世物という、珍奇な人間や動物を小屋で見せる興行が世界中(要確認)にあって、それを近年は小屋をハウスと呼び、テレビメディアがバトンを受け取って伝統を受け継いでいます。(なんつって)

親の因果が子に報い、可哀想なのはこの子でござい

●「あの」テラハの作家さんは「愛の貧乏脱出大作戦」も、やってた人だと今日知って、ヒザを叩いた。不器用な人間があがくブザマを、好奇の目にさらすのが信条なのだ。そういうお仕事なのだ。
だから、彼にオファーした興行師も、完全な確信犯といえる。

檜舞台の道化をヤジる、本能的に残忍なわれわれ観客たちもまた、大昔からあたりまえに存在する。
これはもう、連綿と受け継がれて、無くなることはないと思います。
とはいえ、同じ被虐的な立場でも現代なら、人身売買等でやりとりされた見世物小屋の怪力男やヒゲ娘とは違い「出演しない」選択肢もある。誹謗中傷者を訴える自由もある。
いろいろ忘れてしまうのは、いろいろ迂闊。
「見られる」側は覚悟と慎重さが要るのだ。


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