もりいくすおのヤングレポート

きゅうじょー

2013 年 5 月 7 日

『想像してみよう
もしも明日
この国が戦争を受け入れて
あなたがその手で
誰かを殺すのを
あなたの父や母や兄弟や
友達や恋人が
誰かに殺されるのを

それでもあなたは
憲法9条を放棄しますか?』

友達がフェイスブックでシェアしてたんだけど、戦争を受け入れても受け入れなくても頭のおかしいヒトは自分や大好きな人の命を脅かすんですよね。
9条のかっこよさはこういうジョン・レノンのマネみたいなキレイ事とは違うと思うんだよなー。
なんか添加物食べたら明日すぐ死ぬ的な言い方の反対意見ってきらい。

写真家・亀山ののこさんのポスター

亀山ののこさんのポスター

●一方で、ベトナム戦争のときみたいに明日にも共産主義者が襲ってくるかのような恐怖をあおって、おとなりをこわがりすぎるのもどうかと思うし…
かと言ってなあ、日本は太平洋戦争ンときいろんなことでヘタクソなとこあったからなあ。
とうぶん戦争は放棄しておいたほうがいいような気はするなあ。


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  1. avatar
    サダナリ
    2013 年 5 月 10 日 10:11 | #1

    私は予備校時代に現国のタムラ先生から聴いた考え方を30年経ったいまでも参考にしています。タムラ先生は駅や街頭でやっているナントカ募金やナントカ署名には絶対に参加しないそうです。「あー、やってるなぁ」と思いつつも素性がわからないので参加せず、その「参加していない自分」に対して若干の問題意識を持ち、それを日々蓄積して行くそうです。そうすると「本当にこれはヤバイ!」という時が来たら、それまでの問題意識の蓄積が一気に表出して、深く、パワーのある、意味のある行動がとれるのではないか、と考えているそうです。
    逆に募金やら署名からにヒョイヒョイ参加している人はその時点で満足してしまって、「本当にこれはヤバイ!」に気付かない、あるいは”その時”にパワーのある活動が出来ないんじゃないか、と言っていました。ちょっと極端な、しかもひねくれた考え方かもしれませんが、妙に印象に残っています。
    授業中の雑談でこの話を聴いてからそれから30年が経ちましたが、世の中は相変わらず。ポエムに走ってアタマを使ったり、妙なタイコを叩いて汗を流したりで「あー、活動した」と満足感を得るのはちょっと違うんじゃないか。もっと生々しい、政治や行政の問題点を考えるべきではないか…と考える今日このごろであります。難しいことではあるのですが。長文御免。

  2. 2013 年 5 月 11 日 06:31 | #2

    サダナリさん
    なるほどですね〜。
    ンま、このポスター作った人の気はわかりませんが、普段からこういうコトを闇雲に主張している人達がいるというのは、政府にとって厄介で、なにか暴走系の抑止力になってくれたらいいなと思います。