「宇宙大作戦」1966~1969

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「宇宙大作戦」1966~1969

この偉大なテレビシリーズの存在は前から知っていた。ファンがいっぱいい
るのも。
しかし自分がトレッカー(スタートレックオタク)になるとは思っていなかった。

以前、深夜番組でたまに「宇宙大作戦」や「新スタートレック」をチラッと
見かけてもその時は面白いと思わなかった。
そもそも作り込みのちゃんとしたモノというのは見た目の奇抜さが二の次に
なりがちなので、チャンネルをまわしてる途中で見かけただけでは面白くな
さそうだなどと思うのは当然のことであります。
また「スターウォーズ」を観てすっかりスペースオペラにハマッた子供時代
を過ごしたわたしには、奇抜なデザインの異星人と光線銃で戦争をするのが
SFと思っていたのである。

しかし、実はいろんなSF映像作品のエポックメーキングとなってるスター
トレック・シリーズの敷居が高かったというのも正直なところである。

しかし、無視して生きていこうにも、ちょくちょく「スタートレック」は
わたしの目の前に現れては消えた。
サタデーナイトライブではJベルーシがパロディコントをやっている。
「バックトゥザフーチャー」で主人公がふざけて「わたしはバルカン人だ」
と言い、シンプソンズでミスター・スポック他が出演し、
友人宅にクリスマスに訪れるとBGMのかわりにエンタープライズ号のコクピ
ット内の音のCDがかかってる。
もうさっぱりわけがわからない。あんなに面白くなさそうなのにどうしてこ
んなにも愛されているのか?
「これは何世代にも渡った根が深い宗教のようなもので、とうてい途中から
仲間にゃ入れねえな」と思った。
理解できないとともに抵抗さえ感じた。

「新スタートレック」1987~1994

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「新スタートレック」1987~1994

しかし横目で深夜番組の「新スタートレック」をチラッチラと観てて、いつの
まにかハマッてしまったのであります。
魅力を簡単に言うと重厚な物語、ドラマ部分です。
そしてその背景に便利で豊かな空想的未来が描かれている。

ハマったのは「新スタートレック」第3シーズン。
なぜかシーズンの頭から観る機会に恵まれ、毎週観た。
どれも聞いたこともない&考えたこともないストーリーばかりだった。
第3シーズンには黒沢の「羅生門」のようなハナシもあったから全部が「聞
いたこともないエピソード」と言うとウソになるが、それはそれで斬新だった。
「SF」という武器であらゆるテーマを扱う強みを存分に利用している。
フジテレビの深夜放送で観ていたが、東京でのシリーズの放送は他府県より遅
く、ファンの話題についていけなかったんでレーザーディスクを全巻買った。
ボックスを20巻から買うのはすげえカネがかかったが、それほど観たかったのだ。
一番面白いのは第4,5シーズンと言われるが、賛成。(ちなみに第7シーズンで完結)
気がつくと関連書籍を買いあさりネットサーフィンをしまくって情報を集めていた。
トレッカーになっていた自分を自覚した。
いつの間にか感染し、病魔は知らぬうちにわたしの体をむしばんでいたのだ。

以前わたしの絵でキャラが展開するプレステのゲームを作ったときに「新スター
トレック」ウォーフ大佐役の銀河万丈氏が主人公の声をあててくれることにな
って録音スタジオでお会いしたとき、氏はまだ未発表だった映画「スタートレ
ック叛乱」の台本を見せてくれた。
あの時はうれしくて死ぬかと思った。

本土アメリカの視聴者も面白がったので新シリーズがどんどん製作された。
新シリーズ(スピンオフシリーズ)というのは、言ってみれば「サザエさん」
でたとえれば、ノリスケさんが主人公の「ノリスケさん」というアニメが
あらためて作られたり、タラちゃんのオトナ時代を描いた「タラ・ネクストジ
ェネレーション」がある、といったことである。

「ディープスペースナイン」1993~1999

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「ディープスペースナイン」1993~1999

新シリーズの「ディープスペースナイン」は「新スタートレック」をさらに
重くした内容で、第1シーズンで元レジスタンスが戦犯と牢獄で対峙して
語り合うだけの「謎のカーデシア星人(原題:デュエット)」というハナシ
があるのだが、これは何度観ても泣けた。
これは元・大日本帝国の国民にはいろいろ考えさせられる作品だったのだ。

主に社会問題や人間の心理を描こうとする「ディープスペースナイン」は
見終わったあとに「なるほど」とうなってトクした気分になるが「ヴォイジ
ャー」というシリーズは正直、少し簡単なかんじでした。
んまあそれでもゴヒイキですが。

以降スカパーでは次から次に新作が紹介されている。
ラスベガスにはシリーズのイメージをアミューズメント化したカジノがある。
ほんとアメリ人というのは「楽しむ」という術をいろいろ心得た連中だ。

<最後の編集:2011年3月>

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「ヴォイジャー」1995~2001

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「エンタープライズ」 2001~


「ケロヨンのぼうけん」

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ならぬ堪忍、するが堪忍・・・

薬のコーワ社のカエルキャラを「ケロヨン」と呼ぶ人が多いがケロヨンとは、昭和40年代に大ブレイクした子供テレビ番組
「木馬座アワー」のカエルの着ぐるみの主人公なのであります。
数年前、映画版がビデオで出てて、依頼、家宝である。
わたしは絶望的に重い映画も、破天荒に前向きな映画も両方好きだが、そういった意味で「ケロヨンのぼうけん」はモーゼンと「前向きな映画」ベスト3に入れられる。

主人公ケロヨンは4代続いたカエル屋敷に住む街の名手で、彼はクルマで事故っても現場に事故車を放置して逃走、またすぐに新しいクルマを自分でデザインして乗り回すなど、気ままに暮らしていた。
そんな彼を羨んだ(そりゃ羨むわ)森で孤独に暮らす隻眼のタヌキギロバチは仲間と一緒にケロヨンを森の洞窟に監禁して屋敷を乗っ取り、しまいには不始末から伝統ある屋敷を全焼させてしまう。
それまでにも、いくたびも自動車を盗まれたり、催したイベントをメチャメチャにされてたケロヨンと仲間たちだったが、彼らはそのたびごとに、くやしがるものの「前向き」に新しいことをモーゼンと始めていた。
洞窟の監禁で殺されかけ、最終的に家まで焼かれたケロヨンだが「前向き」に自分達の手で屋敷の再建工事を始める。
このころになるとギロバチ(窃盗、詐欺、脅迫、器物破損、暴行、誘拐、監禁、殺人未遂)は度重なる「慈悲」にたいし、すっかり心を入れ替えて、大工の手伝いをするようになっていた。

このあきれ果てるようなケロヨンの「前向き」な態度とはいったいなんなのか?!
なんだか宗教的な意味合いすら感じる。
実は彼の「精神」が劇中の「ケロヨンおんど」という歌にこめられていた。

♪ケロケロケロヨン、ハイ、ケロヨン
大人も子供もハイ、ケロヨン
カッコイイステキな合い言葉
ケロケロケロヨン、ハイ、ケロヨン
世の中いろいろあるけれど
いや~なことなどケロヨンと忘れ、ケロヨンで行こう~!
ア、ソーレ!ケロヨン、ケロヨン、バハッハ~~イ!!

合い言葉って言ってるけど、もうお念仏のようなものだ。
とは言うものの財産を盗まれても焼かれても遊んで暮らせる、ケロヨンの持つ「遺産」のパワーも彼の心の余裕を産んでいると言えよう。
気の持ちようと共に、やっぱりカネだと訴える?この映画、深いぞ。
バハハ~~イ!!

「ジャックと豆の木」

(1974年 グループ・タック 日本へラルド映画製作)
杉井ギサブロー監督

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当時の宣伝フィルム

これはミュージカルアニメ映画で、いろいろすごいんだがこれについて語られてるのを聞いたことがない。
70年代に先人たちの勇気ある創作物にバシンバシンとトラウマ・パンチをあびてた私にとっては、これにもドカンと一発くらった。

劇団四季がブレイクするにはまだ10年ほど必要だった
「日本ミュージカル不作」(?)の70年代に、「それじゃアニメでミュージカルをやったろうやんけ!」と作ったのがこれだと、当時のパンフで音楽構成の阿久 悠が語っている。
作詞は全部、阿久 悠がやってて、
作、編曲には三木たかし、都倉俊一、井上大輔があたっている。
これってもう、当時の超~ヒットメーカーなのである。
当時の歌謡曲にしびれてた私が無条件に映画内の20曲あまりの曲にとりつかれたのは自然でしょう。
当時のLPは傷だらけです。

アニメ的には原画4万~5万ていうのが多いのか少ないのかわかんないけど、とにかくMGMのギャグアニメみたいな演出が随所にあったりして初めから終わりまで楽しい。
監督の杉井ギサブローはいつも演出が斬新すぎてオモシロイのにウケないテレビ漫画(ex: 悟空の大冒険)を作ってた人だ。

内容は童話「ジャックと豆の木」が基本だが、雲の上の設定が「でっかいオッサンの独り暮らし」から「悪魔にのっとられた雲の上の妖精のお城」に変わっている。
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勇気ある男の子がキスをすればお姫様の魔法がとける

で、声の出演がすごくて、
ジャック・・・市村正親!!!!!!!!!!
城をのっとった魔女・・・樹木希林!! !!
両親を殺されて魔法で狂女にされた姫・・・山本リンダ!
わき役に 西村晃、上村一夫、久野綾希子、 左とん平
そーそーたるメンバーが歌って踊る! (踊るのはキャラか)

うもらせるにはもったいないナンバーの数々なので劇団四季が子供向けに舞台化してくれないかなあ。
もともとからんでそうなんだし。

吉本新喜劇

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わたしは東京の品川生まれで中学から新宿の学校に通い、
渋谷の専門に行って、結婚してからは浅草や上野近辺に住み、
現在麻布十番在住だが、そもそも本籍は麻布という、
超生っ粋のウルトラ東京っ子なのだが、
なぜか大阪への笑いの文化へのあこがれと
そこにつちかわれた大阪の人達のパーソナリティと日常に
羨望と敬意を禁じ得ない。
もともと普段からアホなコトを言ったり考えてないと死ぬ
というわたし自身の特異体質から、肺病の人が空気のいいところを
求めるようにわたしのセンサーが大阪を捕らえて離さないのかもしれない。
きっかけは「吉本新喜劇」(*1)というカルチャーとの出逢いにある。
とにかく、以来、大阪へむけてアンテナがビリビリしっぱなしなのだ。
でわ、新喜劇の魅力とはなんだったのか?

吉本新喜劇が80年代後半に「やめようっかな」という
キャンペーンをはって、解散寸前となっていたそのころ、
東京のわたしに高知の友人が「もりいさん、新喜劇知ってますか?
みうらじゅんなんか帰郷の折は必ず立ち寄るんですよ」という
書き添えとともに、なにげに1話だけ入ったビデオを郵送してくれた。
屋台ものの人情喜劇の舞台だった。(*2)
特別に際だったストーリーだったわけではない。
いつも掘り出し物のレコードやビデオを入手するとわたしに送ってくれ
ていた友人は今回も、単に東京の人には「珍しいだろう」
という軽い気持ちで、ワン・オブ・新喜劇をオレにあてがってくれた
だけに違いない。

人情喜劇なんだったらふつう、泣かせる、笑わせるという
「お約束」のバランスが適度なハーモニーで展開される
おだやかな時間の流れを想像する(*3)。
しかしビデオを再生して、画面に映し出されたものは、
かなり破天荒な見たこともないセンスの舞台中継であった。
たとえばこうだ。
ヤクザに脅かされる料亭の女将と板前さんの難儀を救おうと、
立ちはだかった屋台の主人、岡八郎(当時の看板役者のひとり)が
いきりたつヤクザを前に「スキがあったらかかってこんかい!」と
持ち前のダミ声ですごむ!、
すわ立ち回り?と思ったら、彼は突如前かがみの姿勢を取り、
突き出した尻を微妙に客席の方向へ「くいっくい」と曲げながら
よろよろとしたフットワークでうごめき、
顔の前でイソギンチャクのように動かしていた自分の両手を
急に「サッ」と股ぐらにまわしたかと思うと、
その姿勢のまま尻の穴のへんをボリボリ掻き出し、
しばらくしてこちらをむいてその指先のニオイを嗅ぐと、
「くっさぁぁぁ~~~!!!」と叫んだ。
そして「どんなもんだ」というかんじで無言で胸を張る(!)。
出演者全員があまりのことにズッコケる。
わたしはいったい、画面上で、なにがおこったのか
しばらく頭真っ白で笑いも泣きも怒りもできなかった。
精神的には舞台上の出演者同様「ノック・アウト」の状態だった。
これは岡八郎十八番の「ギャグ」なのである。
いま思えば、ただただ「すばらしい!」と感動にふるえていた。
かつてこんなバカな演出があっただろうか?!
これが「闘い」のシーンなのか??立ち回りなのか?!
そもそもこのオッサンはいったい誰やねん!
うつっとるヒトだーれも知らん。
ハナシの全体が、このような、緊張と緩和が乱暴なバランスで彩られた
知らない年輩の役者さんたちの構成する約45分であった。
こんな重みのある馬鹿げた舞台が西日本圏だけが所有する特別な文化
であるという現実がとにかくショックだった。
わたしはそのショック以降、とりつかれたようにこのたった1話だけを
テープがすりきれるほど観ていた。
「この魅力はいったいなんなんだろう?!」。

karate●岡八郎(右)カラテ中

「ギャグ100連発」なるビデオがレンタル屋の棚にならんだのは
それから間もなくのことだった。
吉本新喜劇の数ある既存の過去のVTRから、上記のようなギャグ
(というか技)ばかりを編集した珍品である。
岡八郎という人のほかにもこんなに大勢の人がバカなコトをやっている・・
時代錯誤なメイクと土方のかっこうの花紀京。
むかし「てなもんや三度笠」で見かけた原哲男が現役。
入室の挨拶を自問自答で完結する、器用な役者桑原和男。
髪形、顔、センスが絶対に東京的ではない船場太郎・・・etc.
そのころ、マラソンで全国区になる前の
間寛平(*4)だけが「最近東京のメディアで見たことある人」だった。
このビデオリリースは意外なスマッシュヒットとなって、
多くの新喜劇の役者さん達が全国区で顔を知られるようになった。
しかしわたしは東京者に認知された「ア~リマセンカ」
とか「パチパチパンチ」より、その時くぎづけになったのは、
とくにコレといったギャグのない、
ハスキーボイスと甘いマスク、
ダメ男や狂った老婆の姿で特異なオーラを放つ男の姿だった。
木村進である。
この人をもっと観たいとそう思った。
めっちゃくちゃ光ってるのにぜんぜん知らない、知れない、
という「気持ちの悪さ」が快感だった。

それからぼちぼちと友人からビデオを送ってもらって
木村進が出演している「プッツンばあさん」の
芝居をこれまたくりかえしくりかえし擦り切れるほど観た。
木村進の舞台は、彼の実の母親、実娘、奥さんで構成され、
そこにいつものわき役陣が固めるといった
ほかの座長とは、じゃっかん毛色の違う舞台だった。
木村進のなにがおもしろいというのは非常に書きにくい。
とにかく、存在感のある役者さんで、身が軽く、
あらゆる状況が彼の「笑い」への材料というかんじだった。
新喜劇の役者さんはおおざっぱに分けてアドリブがさえわたる頭の
いい人と、体で勝負といった役者さんに大きく分けられるが、
木村進はその両方を兼ね備えた人に見えた。
子ぼんのうなんだなというのは、子役として舞台に出ている
当時まだ小さかった子供とのやりとりで容易にわかった。
反面、こういうファミリー構成は彼の権限なのかな、と
主張の強さみたいなものも想像したりもした。
そして、奥さんが日本人離れした濃い顔の美人だったのである。
これも目が離せなかった。

susumu●木村進のプッツンばあさん

すっかりハマッていたわたしは、関西、いや西日本出身で、
花月爆笑劇場を観ることができたと予想される地域出身の友人に逢うと
かたっぱしからこう聞いた。
「木村進はいまどうしているのか?」と。
ところが意外なことに、木村進自体を知らないという返答が多かった。
いま考えると、西日本風のイントネーションだと、出身がどこだろうと
だれそれかまわず聞いていたから、大阪以外の人にしてみれば
なじみがなかったのかもしれない。
しかし、恵まれた西日本に生まれ育ちながら木村進を「知らない」
という返答には少々「たるんどる」と思ったものだった。
また、大阪人でも若い人になるとわからないようだった。
過去の存在ということなのか・・?
「現在の消息はわからない」と前置きしながらも、さすがに大阪の友人
(女子、わたしと同世代の)にとっては小学生のころ彼は
アイドル的存在だったという。
そうだろう、そうだろう、と知りもしないその70年代をしみじみ
うれしく想像した。
わたしがカルチャーショックを受けた新喜劇の舞台中継は、大阪の人に
とっては彼らが土曜の昼に学校から帰ってくるとあたりまえにテレビ
から流れてきていた「日常」だったと異口同音に言うのだから、
東西で価値観の地域格差があってあたりまえだなあとつくづく思った。

「100連発」のビデオが好評だったのにこころよくして
「新喜劇はまだまだいける!」と踏んだ商魂たくましい吉本興業は
殴り込みと称して、東京でも頭角が出始めたダウンタウンをムリヤリ
サブに持ってきて東京公演などもしたが、そこには岡八郎も花紀京も
木村進もいてなかった。座長不在なのである。
その頃に前後してくだんの高知の友人から「吉本新喜劇名場面集」なる
図鑑を送ってもらっていて、それがわたしにとっては唯一自分と吉本
新喜劇をつなぐツールだったわけだが
つらつら読むとそこには「木村進が闘病の床にある」とあった。
同時に「岡八郎は脱退」。
たしかに昔のビデオを見ると木村進ががときどき首を曲げたり、
腕には点滴の跡があったりして
「あれ?これが病気のコトとなにか関係があるのかな」と思った。
みんながその存在を忘れてしまうほどメディアから彼をとおざけた
「闘病」とは、どういったご事情なんだろうと思った。

世の中的にもインターネットが百科事典がわりになってきたある日
わたしがいつものように「木村進」で検索して、とにかく
なんでもいいからと、手がかりを探っていると、
ついに彼の意外な「その後」が、誰かのサイトに書いてあった。
大雑把にまとめると
・・木村進は前記の吉本新喜劇の斜陽の当時、父親である九州の
喜劇役者博多淡海の3代目を襲名する披露公演の最中、
楽屋で横になったまま脳にできていた血のカタマリが原因で昏睡状態
となり、回復したもののそのまま左半身不随の寝たきりとなってしま
ったという。
わたしが新喜劇を知った少し前に倒れ、すでに10年近い闘病の床
にあったのだ。
タレントが視聴者から忘れ去られるには十分すぎる歳月である。
闘病記がちょっと前に出版されていたことを知り、もうそのアシで
神田の三省堂書店に行き「同情するなら笑うてくれ」(光文社刊)を
ゲット。店頭で停めた原チャリにまたがったまま夢中になって読破した。
彼のその後が寝たきりだった以外にも、その著書には
あの美人の奥さんが実は3番目の奥さんで、木村進が病気になると
手の平を返したようにいっしょに舞台に出ていた木村進の愛娘
(じつは2番目の奥さんの子供)をいじめるようになり、
しまいには画策した離婚話を持ちかけて逃げ、闘病でへこんだ木村進に
打撃を与えた事も書いてあった。
そんなこんなで、彼は投身自殺をしようとしたこともあったらしい。
壮絶。
笑われへんっちゅうねん。
襲いかかる島木譲二をひょいっとかわして持っていたトレーで
頭をバチーンとやっていた、ススムチャンのビックリするような
「その後」だった。
「吉本新喜劇名場面集」を読み返せば、高血圧がたたって、とある。
酒である。
きっと芝居の最中に首をちょいちょい曲げていたのは
血管がぴくぴくしていたのだろう。
その後、例の美人の奥さんが木村進と結婚する前に出ていた
にっかつロマンポルノも発見、入手。
抜けなかった・・・

99年現在、木村進は地元九州などでじゃっかん不自由な体で
復帰公演を果たしているという。
応援したい。

わたしの吉本新喜劇への思いはこうしたバックヤードのドラマと
底抜けにくだらない舞台上とのギャップが、さらに執着心を深め
てるのではなかろうか。
「わ~~~~~れ~~~~~~っ!!!」と叫んでいた室谷信男は
クチだかのどだかの病気(癌)で舞台を降り、タクシーの運転手さんを
してるという。(*5)
岡八郎もせんだって、だいぶ風貌の変わった姿で「古畑任三郎」に
ゲストで出ていたが、げっそりと痩せていた。やはり酒だという。
「昔の芸人さんは酒で身を持ち崩すんですよねえ。」
「吉本新喜劇名場面集」の編者、仲谷さんにお会いすることが
できたとき彼は半ばあたりまえのようにつぶやいた。
「ポォッ!!」の船場太郎は議員さんになって、
ロマンスグレーになっていた。
あ、これはべつにブルーな話題ちゃうわ。

いま、新しくなったよしもと新喜劇は
座長に 内場勝則 や辻本茂雄ら若手の役者(といっても3~40代)を
むかえて見事復活を遂げ、ほんとうに可笑しい密度濃い舞台を構成して
いる。
今年(99年)40周年になる、新喜劇のほとんどを見てきている役者
はバイプレーヤーに撤している桑原和男だけである。
彼はこうした栄枯盛衰をどう気持ちの中で処理してきているのだろう。
舞台を降りていった役者たちをどういう想いでインプットしているだろ
う。
お会いできる機会があったら聞いてみたいと常々思っている。
「昔の芸人さんは酒で身を持ち崩すんですよねえ。」で終わりだったり
して。(*6)

つい先日契約したケーブルテレビの「GAORA」というチャンネルでは
連日、わたしがハマッた当時の花月爆笑劇場が観られ、岡八郎が
尻を掻いている。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

*1

喜劇のお芝居。
吉本興業が1959年に旗揚げしたが、苦境にあえいでいた当時、
経営陣は舞台に出ていた人気タレント(吉本専属外のタレント、
芦屋雁之助、藤田まこと、大村崑ほか)へのギャラ節約を考え、
独自のタレントを育てる方針をかため、研究生を募集。
花紀京や岡八郎らを集め、育てた。

*2
このときすでに「花月爆笑劇場」のテーマは
「ほんわかぱっぱ、ほんわかぱっぱ」ではなくなっている。
それを大阪の同年代の友人(すでに、日常から花月爆笑劇場が
消えているひとたち)に話すと、驚く人が多い。

*3
それまで、関西の人情喜劇と言えば
東京では「藤山寛美」だった
大阪の友人は「カンミ」と言うが
わたしの見解は「カンビ」である。

*4
B&Bの洋七の実験的コンビ(?)の相方として
東京ローカルにも顔を出しはじめていた

*5
タマネギのたたりであろう

*6
実際にお会いする機会に恵まれたが、時間もなかったし
辻本座長の取材だったのでなにも聞けなかった(TдT)。

2001年末、復帰を応援する木村進のオフィシャルサイトを発見。
知るかぎり、芸能人でもっとも更新頻度の少ないサイトである。
(2011年現在、最後の更新から約10年が経過している)
「オレ死んでへんで生きてんで!イッヒッヒッヒ」
http://homepage1.nifty.com/fujii-seikotuin/kimura.htm

ナイトオブザリビングデッド(68)

〜ゾンビ3部作の1作目〜

night1-1
記念すべき「死んだ者が未知の力でよみがえって立って歩きだして
うめきながら生きた人間の肉を食べようと求めてさまよう」っていう個性のゾンビ映画の始祖であります。
「頭を撃てば死ぬ」というルールも含めて、総てこの映画を嚆矢として数々の傍流を生みました。
ジョージ・A・ロメロという監督さんが作りました。

night-1-2
もう、基本形で完成形。ゾンビ自体の完成度は低いけどお手本です。
スタンダードがないのに役者がよく理解してゾンビをちゃんと演じてるんですよね。
そんなこんなで革命的な一作であることは論を俟たない。

ゾンビ(78)

~ゾンビ3部作の2作目~

dawn1-3
ロメロ監督作品。
「まえへならえ」の姿勢で「たべちゃうぞ~」といったようすで襲ってくるゾンビ。
妙に機敏なところを見せるゾンビもいるかと思うと襲うのを待ってくれるゾンビも。
ひじょうに散漫なゾンビ演出で、メイクも凝 った人以外は青いドウランだけ。
だが、人気はダントツの映画。

dawn1-4 dawn1-2

死霊のえじき(85)

~ ゾンビ3部作の3作目~

day-1
ロメロ監督のゾンビ3部作の完結編。
メイクがモンスターっぽくなって現実味が無くなっております。
ご覧のように目のまわりが隆起して、みんな出っ歯になっちゃってんの。
ゾンビと人間の容姿があまりに違うのでゾンビはゾンビ、オレはオレ、という関わり合い。
ロメロ監督がロケ現場の地元のゾンビファンに得手 勝手に演じさせてるんで粗いのかも。
この監督、「設定」については出 色の発想力を持ってるが、ゾンビ演出は
意外にこだわらない人。ゾンビを愛する演じ手にまかせちゃう。

day-4
ところでこの映画、ピエ ロとかバレリーナとか、ゾンビのバリエーションもわざとらしいのだが
そんな中でミニスカのゾンビ(上の画像)にはくすおさん萌え。
Mジャクソン「スリラー」の踊る女ゾンビとか、女ゾンビは大好物です。スロー再生しちゃう。

dai-2<知恵のついた珍しいキャラク ターも登場。

ランド・オブ・ザ・デッド(05)

~ゾンビ3 部作のその後~

「ゾンビをどう撮っていいかわからなくなった」
と スランプに陥ってたご本家ロメロ監督の満を辞しての最新作。
本作ではゾンビ達の詠嘆的な叙情味が加わった、彼らの権利の主張と革命が描かれ る(?)。
3作目において生まれた「知恵がつく」「首を切られても大 丈夫」などというアイデアを
踏襲したロメロ・ルールのゾンビ。
これらの独特のルールは、ぶっちゃけ誰が描いたって大同小異な筈のゾンビ像
(&カニバリズムの表現)に群星を圧する個性を与えている。

land01<さらに 知恵のついたキャラが活力素的役目を果たしている。

land02 land03
「死霊のえじき」よりはメイクが穏やかになった ものの、死体と言うより
あいかわらずバケモノっぽさのほうが強い メイク。
でも、どう撮っても、内容にツッコミどころが多くても、 ご本家がやるならそれでもいいや
という敬意に、いささかの諦観をまじ えてファンは本作を受け入れる。


自己紹介